ギャビーは、『JJ』の専属モデルとして成功し、Netflixのリアリティシリーズ『オオカミちゃんには騙されない』で注目を浴びました。
彼女は日本と米国のルーツを持ち、その背景には壮絶な貧乏エピソードがありました。
(映像:NB Press Online)
(画像:TEN CARAT公式)
ギャビー(1996年10月20日生まれ 本名:ガブリエラ・フェイス・ジェイド(GABRIELLA-FAITH JADE)さんは、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ。
ギャビーの母親はラテン系アメリカ人、父親は九州出身でアメリカ育ちのため日本語は話せませんでした。
彼女の家族は裕福で、祖父母がアメリカで事業を成功させていたと伝えられています。
ギャビーさんは、5歳で福岡県二日市町(現筑紫野市)に移住しました。
両親の離婚後、奔放な父親に育てられ、壮絶な貧乏生活を経験。
しかし、彼女は言葉の壁や思春期の荒れた時期を乗り越え、モデルとしての夢を叶えました。
ギャビー:過去の試練を自信に変える道のり
ギャビーは、過去の困難を自信に変えました。
2001年、ギャビーが5歳の時に、父親が新しいビジネスを始めるため、福岡県二日市町(現筑紫野市)に移住。
その翌年、両親は日本になじめず離婚し、母はアメリカに帰った。ギャビーには母の顔の記憶はうっすらとしか残っていない。
家族の間で、ギャビーが20歳になるまで連絡を取らないという約束もあった。
その後、父親は帰宅しなくなり、生活は厳しくなった…
ギャビーの孤独なる闘い:小学校時代のド貧乏生活と夢への挑戦
2003年、小学校に入学した時、新しい母親が来てくれた。
彼女は素晴らしい人で、ギャビーは彼女を慕っていた。
しかし、ギャビーは小学校の低学年の頃、英語しか話せず、学校に適応できなかった。
友達ができず、容姿の理由でいじめられた。彼女のあだ名は「宇宙人」だった。
それでも運動神経はよく、体育では常に1番だった。
ギャビーは貧乏過ぎて、学校用品を充分にそろえることができなかったため、クレパスなどの必要な道具は常に忘れ物箱から拾っていました。
リコーダーも手に入れられず、友人から譲り受けた使い古しのものを使っていました。
家では犬や猫、こうもりと一緒に暮らすド貧乏生活が始まった。
父は、まれにしか家に戻らず、極度の貧困に陥ってしまい、
家の向かいのパン屋で、毎朝、パンの耳をもらう生活に。
心を痛めた学校の校長が、残しておいた前日の給食を用意し、ギャビーは毎朝それを受け取って食べていました。
また、地域のおばさま方と親しくなり、彼女たちの家に招かれて夕食をご馳走になったり、食べ物をいただいたりして、生活を送っていました。
お金がなく、ケガや病気をしても病院に行く余裕がなかった。
骨折した場合は自分で固定して治し、ニキビには歯磨き粉を塗って治し、
傷にはアロエを貼れば治ると信じていました。
小学校3年生の頃からモデルに憧れ始め、小学校5年生から6年生にかけては不良になり、問題を起こすようになった。
新しく来た母親は姿を消し、父親もほぼ不在で常に旅に出ていた。
両親がいないため、親戚の家に預けられたが、馴染めず、秘密基地やカラオケで夜を過ごすようになった。
ギャビーの苦難と決意:中学時代の挑戦と夢への一歩
2009年、中学校に進学した。離婚後2人目の母親が現れたが、なかなか馴染めなかった。
依然として貧乏生活は続き、ギャビーは親戚か友達の家、もしくは保護施設などを転々としています。
バスケットボール部に入ろうとしたが、見た目の理由で断られ、不良のイメージが一層強くなった。
中学時代、髪も染めてギャビーのあだ名は「金髪ハリケーン」と呼ばれるようになった。
15歳の時、2人目の母親が姿を消した。
中学校を卒業する直前に家に帰ると、家がなくなっており、跡地には更地が広がっていた。
親戚からは旅館での住み込みの仕事を勧められたが、ギャビーは夢だったモデルになるために上京することを決意した。
ギャビーの転機:モデルの道を歩んだ16歳の軌跡
2012年ギャビー16歳、中学校を卒業すると同時にバイトで貯めたお金で上京した。
初日に渋谷で、女性向けファッション雑誌『BLENDA』(角川春樹事務所)にスカウトされた。
正式に上京する前に、地元の福岡に恩返ししたいと思い、ヤンキー時代の仲間と共に『Gレボリューション』を結成し、地域の清掃活動に取り組んだ。
地元の新聞に取材されるまでになり、その後、正式に上京し、『BLENDA』の専属モデルとしてデビュー。
「BLENDA」10月号(角川春樹事務所、2013年9月6日発売)表紙:安室奈美恵
しかし専属デビューから半年後に、ギャル文化が衰退する中、雑誌『BLENDA』が廃刊。
その後、すぐに『Happie nuts』(インフォレスト)の専属モデルに選ばれたが、わずか1年後に再び廃刊となった。
「Happie nuts」5月号(インフォレスト、2014年3月17日発売)
その後、水着メーカー『PEAK&PINE』のモデルとして4年間、活動した。
(画像:PEAK&PINE BLOG)
ギャビー挑戦と成長:『JJ』モデルからの転機、そして新たな展開
(画像:TEN CARAT公式)
2014年18歳の時、プロデュースしたカラコンが大ヒットし、発売初日にはサイトが混雑し、楽天市場の売り上げランキングでモデルのローラを抑えて1位!
しかし、20歳の時に所属していた事務所が解散し、フリーランスに…
その間、保育園での保育補助のアルバイトを2年間続けた。
2018年22歳の時、現在の事務所『TEN CARAT』に所属が決まり、『JJ』(光文社)の専属モデルに抜擢。
そして、23歳の時にはNetflixの恋愛リアリティシリーズ『オオカミちゃんには騙されない』に出演し、大きな話題を呼びました。
さらに、『with』誌上でSDGsに関する連載「無知ってほんとに自己責任?」をスタート。
日本語がわからず、家に帰っても親はいないというド貧乏な環境でしたが、それを乗り越えたことで、新しい世界に躊躇なく飛び込む強さを身につけました。
ギャビー:信念を貫き、愛を語る
(画像:TEN CARAT公式)
思春期の壮絶な貧乏生活を、それを感じさせないほどに明るく笑顔で語るギャビーは、両親との関係が以前は少なかったものの、今では2人に対して「世界で一番愛しています」と断言している。
彼女は自らの信念について、
「小さい頃から根底にあったのは、人のことを疑ったり、受け入れないことはなかった性格。
自分自身にもネガティブなところには一切目がいかないから、ポジティブにどうしても前に行っちゃう。
他人を信じる、自分を信じることを大事にしてきました」
と述べています。
さらに、「お父さんからは『自分以外は信じるな』『人のせいにするな』『全部自分で決めろ』と言われてきました。
自分で選べば、人のせいにはならない。
全部自分でやったんだったらしょうがないや、と思うと、
(困難に直面しても)しょうがないから次、と乗り越えられてきました」
と述べ、彼女の言葉からは、自身の信念を堅持する姿勢が見て取れます。