今回は、テレビドラマや映画などで著名な活躍をする間宮祥太朗さんについてご紹介します。間宮さんの出身高校や中学校などの学歴や、幼少期の夢である『プロ野球選手』から読者モデルを経て俳優への道のりも取り上げます。
(映像:日テレドラマ公式チャンネル)
間宮祥太朗:県立神奈川総合高校出身
(画像:STORY web)
間宮祥太朗(まみや しょうたろう 1993年6月11日生まれ 本名:馬渡祥太朗(まわたり しょうたろう) )さんは、神奈川県立神奈川総合高校の出身です。
法政大学第二中学校時代から芸能活動を開始し、高校在学中に、2009年『ふたつのスピカ』(NHK総合)、『オトコマエ!2 最終話』(NHK総合)などのドラマに出演していました。
これらの経験が、彼の演技力を磨き上げる重要な土台となりました。
神奈川県立神奈川総合高校は、1995年に創立された公立高等学校です。
学校は単位制を採用しており、普通科(個性化コース、国際文化コース)舞台芸術科の2つのコースが提供されている。
この学校は県内で初めて単位制を基調とした全日制普通科を導入し、通常の「○年生」の代わりに入学年度に応じた「○期生」の呼称を使用している。
また、週1回のロングホームルーム(45分)でのみ学級に在籍する全員が参加することが義務付けられており、学生の個人の自主性が尊重される自由な校風が特徴。
間宮祥太朗:夢はプロ野球選手~法政二中~
中学受験の際、間宮さんは大学進学経由でプロへの道が開ける可能性が高いと考え、それが理由で法政大学第二中学校を選びました。
「将来の夢はプロ野球選手」です。
間宮さんは、小学1年生から中学2年生まで野球を続け、2019年7月23日には阪神対DeNA戦(甲子園)の始球式で芸能人最速の139km/hを記録しました。
このようなスポーツ経験も、彼の芸能活動において大きな役割を果たしています。
間宮祥太朗:芸能界への第一歩~読者モデルとして~
(画像:フジテレビ)
法政大学第二中学校在学中に読者モデルとして活躍し、その後、2008年にドラマ『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』(日本テレビ)で俳優デビューを飾りました。
これが、間宮祥太朗さんの芸能界でのキャリアの始まりでした。
元々は野球が大好きだった間宮さんは、同じポジション(ピッチャー)だった友人との野球に対する情熱の差を感じ、退部を決意します。
その後、彼は何もすることがなくなり、バンド活動をしたり、映画を見たりする日々を送っていたそうです。
中学生時代、間宮さんは中学時代の先輩に雑誌の撮影に誘われ、『Hana-*chu→』(主婦の友社)の読者モデルとして活躍し始めます。
その際は、馬渡祥太朗という本名で活動していました。
その後、偶然にもテレビ局のプロデューサーがその写真を目にし、「トライストーンっぽい生意気な顔をした子がいるけど、会ってみたら?」と言い出し、今のマネジャーにつながったと間宮さんは明かしました。
彼のこれまでの経験が、小栗旬さんや田中圭さんが所属する『トライストーン・エンタテイメント』に入るきっかけとなったのです。
株式会社トライストーン・エンタテイメントは、日本の映画制作会社・芸能事務所・音楽プロダクションです。
2023年6月8日の同社株主総会では、映画プロデューサーで同社初代社長の山本又一朗が会長に就任し、2代目代表取締役社長には俳優の小栗旬が就任しました。