羊たちとともに

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夏井いつきの素顔とは⁉彼女の俳句への情熱のルーツが明らかに!

夏井いつきさんといえば、俳句の世界で輝く存在ですが、その学生時代には驚きの一面があったことをご存知でしょうか?!

 

1957年5月13日生まれ、愛媛県出身の夏井いつきさん。

俳号の「いつき」は、本名の「加根伊月(かね いつき)」から。おじい様が命名したそうです。

そんな夏井いつきさんの学生時代はスポーツにも一生懸命だったことが明らかになります。

彼女は高校時代、愛媛県立宇和島東高等学校に在籍。

そこでなんと、バレーボール部に所属し、ポジションはリベロだったのです。

思わぬスポーツ少女の一面に、ファンは驚きを隠せません。

また、大学は京都女子大学文学部国文科を卒業。

しかし、俳句に取り組むようになったのは大学卒業後。

1980年に国語科教諭になり、松山市立余土中学校に赴任した夏井いつきさん。

この頃の夏井いつきさんは、地元教員のバレーボールチームにも参加し、教え子や仲間から女優の原田知世さんに似ていると言われていたそうです。

そして、夏井いつきさんが俳句に真剣に取り組むようになったきっかけは、長女を妊娠し産休中に俳句雑誌に応募したこと。

その俳句が入選し、俳句への情熱が急上昇したのです。

また、俳人の黒田杏子に師事していたようです。

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夏井いつきさんは、8年間教師生活の後、1988年に教職を辞めて俳人に転身しました。
25歳で中学校の教師として働きながら、同じく教師仲間の男性と結婚。夫婦仲睦まじく、結婚後には1男1女の2人の子どもに恵まれました。

しかし、30歳の頃に夫の実家である松山市で舅が他界し、その影響で体調を崩した姑の介護を迫られることとに。

この厳しい状況から、やむなく教職を辞し、夫の実家で姑の介護に専念することを決断する。

彼女は教育者としての仕事に愛着を持ちながらも、家族への献身が優先される苦しい選択を迫られた。

退職の際には、当時の教え子たちに、「これから俳人になる」と約束したそうです。
1997年に俳句集団「いつき組」を結成し、「組長」に就任すると、全国の小中学高校生を対象として「句会ライブ」という俳句教室を開催。
俳人としての活動を始めてから10年後、40歳の時には新たな試練が待っていた。

実母が脳腫瘍を発症し、同時に介護を必要とする状況が発生。

俳人としての生計がままならず、さらに姑と実母の介護に疲弊。

離婚を余儀なくされ、その条件として2人の実子を引き取ることを決断する。

この時期に、彼女は俳号の苗字に用いている「夏井」が、元夫の姓でもあることを公にしています。

 

夏井いつきさんの物語は、逆境に立ち向かいながらも、自らの約束を守り、俳句の才能を開花させた姿勢が感動的です。

彼女の人間性や芸術への情熱が、俳句にどのように反映されているのか、深く理解したいと感じました。