手塚日南人(てづか ひなと 1995年6月13日生まれ)さんは『真田広之が父、手塚理美が母という境遇のもとに生まれた以上、ぼくには使命があると思うんです』と、女性セブンの取材に語った。
北海道でネイチャーガイドなど活動していた手塚日南人さんは、2023年に俳優への転身を決意した。
(映像:Hinato Tezuka)
手塚日南人:アイヌ文化への情熱が導いた北海道移住
手塚日南人さんは、現在も北海道美瑛町を生活拠点としています。
早稲田大学国際教養学部時代は東京に住んでいましたが、アイヌの文化や精神に強い興味を持ったことが北海道移住のきっかけとなりました。
スペイン留学や休学を経て中退した後、働きながら音楽活動をしていたが、縁あってアイヌの歴史に触れる機会があったため、真剣に学びたいと思うように…
その約半年後、アイヌ民族博物館(当時)が北海道白老町でリニューアルオープンする際、ネイチャーガイドを募集していることを知り、このチャンスを逃さないために即決で移住を決めます。
手塚日南人:動き始めた運命【オーディション不合格】
(画像:スポニチ)
手塚日南人さんの運命を変えたのは、2023年6月、北海道在住の“巨匠”倉本聰さんが監修する『劇団富良野GROUP』の舞台『悲別(2023)』オーディションに応募したことです。
応募時点での手塚さんの肩書は「会社員」で、不合格だったが照明係として参加。
しかし、彼が脚本を読む姿を見た倉本さんが「いいんじゃないの」と言い、役者に抜擢。
倉本さんは、手塚日南人さんの両親のことは知らなかったと言います。
(画像:テレビ朝日)
2024年5月21日放送の『徹子の部屋』で、手塚理美さんは
「8年前に次男と一緒にこちらに出た時は、まだ俳優になるつもりはなかった。
現在、日南人は北海道美瑛町に住んでいますが、突然『俳優になりたい』と言い出したのです。」と振り返ります。
また2023年12月に富良野市で開幕した舞台には、手塚理美さんも観に来ており、「滑舌は悪かったが、次男が楽しんでいる姿を見て応援しようと思った」と感想を述べています。
@tezuka_satomi
日南人さんは
「初舞台で苦労したのは発声です。まだまだ未熟なので、これから多くの場数を踏みたいと思っています。
父のような国際的な俳優になりたいという夢を持ち続けています。
世界平和というと仰々しいかもしれませんが、父のように表現を通してメッセージを伝えられるよう頑張っていきたいです。」
手塚日南人さんは、舞台デビューを経て、新たな役者としての道を歩み始めています。
彼の今後の活躍に期待が高まっており、多くのファンが彼の成長を見守っています。
彼の演技に対する真摯な姿勢と、舞台に立つ喜びが、彼のパフォーマンスに反映されていることは間違いありません。