現在は大分県杵築市で南こうせつさんは田舎暮らしをしています。
仕事が入ると上京しますが、それ以前は富士山の麓などで生活していました。
冬の寒さが厳しく、耐えられなくなったことが、大分県に引っ越す決め手となりましたが、年齢を重ね、大分での田舎暮らしにも変化があったようです。
(画像:写真:ENCOUNT編集部)
歌手の南こうせつ(みなみ こうせつ 1949年2月13日生 本名:南 高節)さんは、
大分県大分市竹中出身で、『かぐや姫』時代には『神田川』(1973年)が大ヒットし、『赤ちょうちん』(1974年)、『妹』(1974年)も続けてヒットさせました。
解散後のソロ活動でも『夏の少女』(1977年)『夢一夜』(1978年)などのヒット曲を生んでいます。
現在は、大分県杵築市に在住しています。
富士のふもとでカントリーハウス生活が…
1970年に『かぐや姫』としてデビューし、30歳で富士山の麓にカントリーハウスを建てました。
しかし、寒さのため作物の収穫が難しく、気温が-20℃になることも…
暖かい場所を求めて大分県国東半島に移住しました。
そこで2500坪の土地を購入し、理想の家を建てたのです。
大分での理想の暮らし・2500坪の土地を購入
(南こうせつ)「水道が通っていなかったため井戸を掘り、下水処理の浄化槽を整備して家を建てました。
外観は白で、リビング、キッチン、寝室、子供部屋がありました。
玄関の広さは学生が住めるくらいで、ベランダにはジャグジーを設置し、リビングは50畳ほどの広さがあります。
まるでロサンゼルスのロックスターたちの大豪邸のような感覚で、大きな家を作りました。
家の前にはテニスコートもありました。
アメリカのロックスターに負けたくないという気持ちでがんばりました(笑)。
そこで子供を3人育てました。」
南こうせつさんは、広い土地で畑や庭を作り、音楽活動を続けながら生活していました。
別棟には仕事用のアトリエがあり、そこで作詞作曲を行っていました。
(南こうせつ)「ギターや音響設備も備えていて、庭は森エリア、畑エリア、庭エリアに分かれており、畑にはさまざまな作物を植えていました。」
しかし、50歳を過ぎた頃から「このままでいいのか」と考え始めました。
広い家での生活が楽しい反面、将来のことを考えると維持が難しくなると感じたのです。
そこで、家を小さくして暮らしやすくする決意をしました。
ミニマリストへの道・2LDKの平屋へ建て替え
南さんは、家をコンパクトにして暮らしやすくしようと決意!
3人のお子さんがいますが、上の2人はすでに独立していて、ちょうど末っ子が希望する大学に合格したタイミングで、大分の家を離れることになり、
それを機に妻と相談し、思い切って家を建て替えることにしました。
新しく建て替えた家は2LDKの平屋で、リビング、キッチン、寝室、子供部屋が1つあり、すべてバリアフリーになっています。
(南こうせつ)「将来の万が一に備えて、床は車椅子でも入れるようにバリアフリーにし、扉はほぼ引き戸にしました。
バスルームやトイレには手すりを設置。
これは高齢になったときに使う予定でしたが、住み始めてからは『わあ、便利だ』と感じて重宝しています。」
居住部分をコンパクトにすることで、持ち物も減らし、生活のシンプルさを追求しました。
洋服やTシャツなども思い切って処分し、現在の自分に合うものだけを残すことで、ミニマリストとしての生活を実現しています。
南こうせつさんの理想は、歌人・鴨長明のような究極のミニマリスト生活です。
鴨長明は、5畳半のスペースで生活し、必要最低限のものだけを持ち、自然と共に暮らしました。
南さんも、いずれは持っているギターを減らし、最低限のものと共に自然を楽しむ暮らしを目指しています。 (介護ポストセブン)