蓮舫氏は若い頃、キャンペーンガールやグラビアアイドルとして活躍。
その後、ニュースキャスターを務め、すべての番組を降板して北京大学に語学留学。
帰国後、政治家に転身しています。
(映像:蓮舫れんほう)
クラリオンガールから政治家へ
蓮舫(れんほう 1967年11月28日生まれ 本名は齊藤 蓮舫(さいとう れんほう))氏は、1985年 17歳でNTTのテレホンカードのCMに出演。
その後、1988年にクラリオンのキャンペーンガール『クラリオンガール』に選ばれました。
グラビアアイドルとしての活動は短いながらも、その後のキャリアに大きな影響を与えたと言えるでしょう。
蓮舫:ニュースキャスターとしての才能
情報番組への転身は、蓮舫氏のコミュニケーション能力をさらに磨き上げました。
1990年~1992年『スーパージョッキー』(日本テレビ)でのアシスタントから始まり、
特にTBSの『3時にあいましょう』(1992年)やテレビ朝日の『ステーションEYE』(1993年~1995年)でのメインキャスターを務めた経験は、彼女の報道に対する洞察力を深めたと言えます。
蓮舫:北京大学在学中に妊娠、双子出産のため帰国
1995年から1997年にかけて北京大学に留学し、その後、双子を出産しました。
1993年8月に番組スタッフであった村田信之さんと結婚。
2カ月半の間ずっと二日酔いのような状態が続いていたため受診。
診断結果は双子で、
「2人ぐらい欲しかったのでちょうどよかった」と驚きながらも喜んでいた。
当初は中国での出産予定だったが、双子とわかり日本で出産することに変更。
妊娠を機に大学を1997年1月に退学した。
この時期は、蓮舫氏にとって新たな人生の章の始まりであり、後の政治活動においても重要な役割を果たしたと考えられます。
蓮舫:政治への第一歩
2004年、民主党から参議院議員に初当選し、政治家としてのキャリアをスタートさせました。
政治家としての蓮舫氏は、特に「仕分け人」としての役割で知られ、その鋭い質問で多くの人々の注目を集めました。
蓮舫:スパコン開発批判の事業仕分け『2位じゃ…』
2009年11月13日、民主党政権下で内閣府が実施した事業仕分けで、蓮舫は次世代スーパーコンピュータ開発予算の削減を提案し、
「2位じゃダメなんでしょうか?」と発言して注目を集めた。
研究者側は「1位でなければ不利になる」と反論したが、蓮舫は「2位でも安価で応用できるのでは」と質問。
文科省は「1位で日本のアイデアを世界に先行させたい」と答えた。
2010年6月、蓮舫は「科学技術で1位を目指すのは当然」と発言を修正。
2011年6月、日本のスパコンが7年ぶりに世界一となり、蓮舫は賞賛した。
「2位じゃダメなんでしょうか」発言について、蓮舫は「言い訳しない」としつつも「メディアが文脈を無視して報道した」と反論し、「税金を活用してオンリーワンを目指してほしい」と述べた。
蓮舫:二重国籍問題とその後の活躍
二重国籍問題は、蓮舫氏にとって大きな試練でしたが、この問題を乗り越えた後も、彼女は政治家としての地位を確立し続けています。
現在も、立憲民主党所属の参議院議員として活動を続けており、多くの重要な役職を歴任しています。
蓮舫氏は1967年に台湾籍の父と日本人の母の間に生まれ、当時の日本の国籍法により台湾籍として育ちました。
1985年の国籍法改正で日本国籍を取得し、台湾籍を放棄したと記憶していましたが、後に台湾籍が残っていることが判明。
二重国籍問題が指摘された後、改めて台湾籍の放棄手続きを行い、その証明書を公表しました。