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真矢ミキ 宝塚時代から芸能界へ結婚も…

今回は、現在女優として活躍する真矢ミキ(まや みき 1964年1月31日生まれ)さんの宝塚時代から芸能界での苦労と活躍、結婚についてお話します。

 

(映像:oricon)

真矢ミキさんは、元宝塚歌劇団花組トップスターで、旧芸名は『真矢みき』です。

※ 本名 西島 美季(にしじま みき)旧姓、佐藤(さとう)。

宝塚時代は、従来の男役のイメージにとらわれないスタイルで、ヅカの革命児と呼ばれました。

そんな真矢ミキさんの宝塚時代の伝説エピソードを紹介します。

真矢ミキ:宝塚に入団するまでの経歴と昔の逸話

(画像:産経新聞

真矢ミキさんは、1964年1月31日に広島市西区南観音町で生まれました。

父親の佐藤隆二(後に日本エアシステムの取締役)さんの航空業界という仕事柄、4歳から転勤を繰り返し、中学校卒業までに8回の引っ越し。

 

中学校時代(豊中市立第二中学校)の3年間は、大阪府豊中市で過ごしました。

母親の雪子さんは宝塚ファンで、『日舞を習いたい』という真矢ミキさんを宝塚コドモアテネに通わせました。

宝塚コドモアテネとは、小学4年生から中学2年までの女子学生が声楽・バレエ・日舞を習う日曜日教室。

宝塚音楽学校が運営。

真矢ミキさんは、大地真央さんに憧れて、中学卒業後に宝塚音楽学校に入学。

しかし宝塚音楽学校での成績は、同期39人中で37位でした。

真矢さんは芸能に縁のない一般的な家庭で育ち、順位にあまり執着しなかったつもりでしたが、37番という数字にはやはりショックを受けました、と振り返ります。

芸名は、母親から『真っすぐな心をもって矢のように進んでほしい』という意味で

真矢みき』と名付けられました。

真矢ミキ:宝塚歌劇入団後の伝説と代表作

(画像:宝塚歌劇専門チャンネル

1981年に67期生として宝塚歌劇団に入団した真矢ミキさんは、花組に配属されます。

同期には、黒木瞳くろき ひとみ 1960年10月5日生まれ)さんや涼風真世(すずかぜ まよ 1960年9月11日生まれ)さんなどがいます。

 

花組に所属しましたが、成績が振るわず、同期は抜擢される一方で、真矢さんは全国ツアーへの参加の声もかかりませんでした。

また舞台研究が好きだったものの、同期の活躍を見に行く余裕はなかった、と言います。

 

18歳になり、退団を真剣に検討しました。

宝塚での活躍を夢見て応援してくれた母に、覚悟を決めて電話しました。

「せめて2、3年は頑張ってみなさい」

と母に言われ、退団の考えを再考します。

 

そして1983年、『メイフラワー』の新人公演で主役に抜擢され、注目を集めました。

1992年から1995年にかけては、花組トップスターの安寿ミラあんじゅ ミラ 1960年3月30日生まれ)さんと共演し、男役同士のコンビ「ヤンミキ」(ヤン(安寿さんの愛称)ミキ)として人気を博しました。

 

1995年には、安寿ミラさんの退団に伴い、『エデンの東』で花組トップスターに就任。

相手役には、純名里沙じゅんな りさ 1971年3月15日生まれ)さんや千ほさち(せん ほさち 1974年8月16日生まれ 現・森ほさち)さんを迎えました。

 

しかし1995年1月17日の阪神大震災の被害から数か月後の3月末に劇場が再開されましたが、当時はまだ復興途中であり、通常の華やかなトップお披露目でも空席が目立ちました。

 

真矢さんはその中でトップに就任しました。

震災から半年後の舞台には様々な意見がありましたが、公演を続けることがこの街に希望を与え、宝塚の復興を象徴すると信じていました。



真矢ミキさんの宝塚時代の代表作としては、『ベルサイユのばら』『エデンの東』『ハウ・トゥー・サクシード』などが挙げられます。

 

トップになった真矢さんは、リアルで洗練された男役を追求し、現代的な持ち味を活かしたかったのです。

舞台メイクも自然な仕上がりに変え、

従来の青いアイシャドウではなく、茶色で陰影をつけ、口紅も赤をやめ、より自然な男役を目指しました。

その結果、宝塚の枠を超えて人気を集めるようになりました。

 

退団直前1998年7月22日につんく♂プロデュースによる日本武道館でのソロコンサート真矢みき スーパー・リサイタル イン 日本武道館「MIKI in BUDOKAN」』の開催。

1997年8月1日発売の篠山紀信撮影によるソロ写真集『Guy』宝塚歌劇団出版)の出版など、宝塚に新しい風を積極的に吹き込み、ヅカの革命児とまで言われました。

真矢ミキ:宝塚退団後の芸能界での苦労と活躍が泣ける

(画像:産経新聞

DMM × pixiv推しホーダイ

1998年10月5日に『SPEAKEASY』東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団した真矢ミキさんは、その後女優として芸能界に進出しました。

 

しかし、舞台の演技がなかなか抜けず、映像の世界に合わなかった。

すると徐々に仕事は減っていった…

 

宝塚歌劇団退団からおよそ4年、38歳のときには、事務所から戦力外通告を受けるという苦難も経験しました。

 

その後、真矢さんは『株式会社ブルーミングエージェンシー』(芸能プロダクション)に移籍。

 

そこで、2003年7月19日公開映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の沖田管理官 役オーディションに合格し、39歳になって、女優として新しい可能性が広がりました。

オーディションでは「普段着で可」という指示がありましたが、真矢さんは、友人からリクルートスーツを借りて、頭を夜会巻きにし、ピンヒールを履いて、自分が想像する沖田になりきって参加しました。
それが功を奏したようで、後で聞いたところによると、真矢さんのオーディションでの演技だけでなく、『会場に真矢さんが入ってきた瞬間、沖田そのものだった』という理由で選ばれたそうです。
つまり、役女のイメージが重要だったということです。

 

 

以降は、ドラマや映画で数々の名作に出演し、演技力や存在感を発揮しました。

代表作としては、2005年NHK連続テレビ小説風のハルカ』神崎木綿子 役、2007年『ガリレオ』(フジテレビ)城ノ内桜子 役、2015年『下町ロケット』(TBS系)和泉沙耶 役などがあります。

 

映画では、2008年公開ガリレオシリーズ第三弾『容疑者Xの献身』城ノ内桜子 役、209年『HACHI 約束の犬』 ケイト・ウィルソン 役(吹き替え)

などに出演しました。

 

また、バラエティ番組やCMでも活躍し、2015年『白熱ライブ ビビット』(TBS系)ではMCを務めました。

 

2008年12月22日、バレエダンサーの西島千博にしじま かずひろ 1971年10月21日生まれ)さんと結婚。

翌2009年4月日、東京原宿明治神宮にて挙式。

2002年『ダンス・アクト・シリーズvol.2「スターダストin 上海」』での共演がきっかけに交際がスタートしたようです。

 

2015年3月1日に芸名を「真矢ミキ」に改名。(株式会社オスカープロモーション移籍に伴うもの)

2017年8月29日には、『高等学校卒業程度認定試験』に合格。

 

宝塚時代も退団後も、常に挑戦し続ける真矢ミキさんの姿には、多くの人が感動や勇気をもらっているのではないでしょうか。