羊たちとともに

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明日海りお 出身中学・高校と宝塚歌劇団トップスターへ!の道

明日海りお(あすみ りお  本名:海野紗由美(うんの さゆみ)1985年6月26日生まれ)は、静岡県静岡市出身の女優で、その才能と美貌で多くのファンを魅了しています。

彼女の出身校や宝塚時代のエピソードには驚きの事実が隠されています。

 

(画像:Hulu Japan公式)

明日海りお 一人っ子お嬢様~ピアノにバレエにお習字~

明日海りおさんは、両親との3人家族で、一人っ子として成長しました。

彼女の子供時代は、お金持ちの実家で、3歳からクラシックバレエや4歳からピアノ、習字などの習い事に励む少女でした。

彼女自身が好きな習い事の発表会での舞台裏や、バレエに夢中になるエピソードが、今でも彼女の個性を感じさせます。

「子どもの頃は、習い事の発表会での緊張感が好きでした。
バレエやピアノの練習を通じて、身体を動かすことが大好きな子供でした。」

明日海りおさんの出身中学校は、お嬢様学校

明日海りおさんの出身中学校は、静岡雙葉中学校。

カトリック系のミッションスクールで、お嬢様学校として知られています。

バレエや舞台に親しんでいた彼女が、宝塚に夢中になったキッカケもここにありました。

中学時代は、バレエのコンクールに出場するなど活躍の場は広がっていました。

宝塚を志すきっかけは、真琴つばさ主演ビデオ

中学3年生の時、クラシックバレエ教室の友人に勧められた、真琴つばさが主演する月組公演『LUNA-月の伝言/BLUE・MOON・BLUE』のビデオを観たことが転機となりました。

「ビデオを観た瞬間に衝撃を受けました。華やかで独特の世界観が広がっていて」

と感激し、ビデオを観た翌日に出発した香港旅行では、宝塚の魅力から離れられず、食事が喉を通らずに帰国するほどの影響を受けたそうです。

親に音楽学校受験の意志を伝えた時は、一人娘が家を離れ芸能の厳しい舞台に身を投じることに強く反対され、

三日三晩部屋に引きこもり泣き叫び、最終的には発熱し寝込む姿を見て、「そんなに言うのなら受けてみなさい」とやっと受験を許されたそうです。

明日海りおの出身高校と宝塚歌劇団

出身高校は、宝塚音楽学校兵庫県宝塚市にある私立の女子校。

宝塚歌劇団の団員を養成する学校で、予科と本科を合わせて2年のプログラムを提供。

この学校は学校教育法に基づく各種学校

2001年、入学した明日海さんは男役に憧れていたが、身長や童顔のコンプレックスを抱えていた。

それでも「男役の仕草や演技の奥深さを徹底的に研究し、努力を積み重ねました。

自分がまだ不足していると感じたからこそ、その努力が良い結果を生んだと思います。」と振り返っています。

2003年 宝塚歌劇団に89期生として入団。

2008年 『ホフマン物語』のバウ・ワークショップで、初めての宝塚バウホールでの公演で主演。

続く彩乃かなみが退団する際の公演『ME AND MY GIRL』では、新人公演で初めて主演。

その後も連続して4つの新人公演で主演を務めると、その存在感が増していきます。

2012年 劇団史上初!月組準トップスターに。

2014年5月 花組トップスターに就任。(2013年3月25日付で花組へと組替え

男役トップスターに昇りつめた瞬間でした。

その後女優への転身を果たしています。

一流の学び舎で育まれた才能が、彼女の成功に繋がったことがうかがえます。

明日海りおの新たな挑戦

2019年11月24日『A Fairy Tale/シャルム!』の東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団しました。

平成以降のトップスターとしての在任期間は5年半であり、和央ようかと柚希礼音に次ぐ3番目の記録となります。

また、大劇場での主演作品は12作品であり、平成以降に退団したトップスターとしては最多の記録を樹立しました。

宝塚を卒業後、女優に転身した明日海さん。

2021年 NHKの朝ドラ『おちょやん』(高峰ルリ子役)などで注目を浴び、新たな舞台に挑戦しています。

将来の活動にも期待が高まります。

(映像:マイナビニュース【エンタメ・ホビー】)

ご両親に愛され育った幼少期から、お嬢様学校での日々、そして成功の扉を開いた宝塚時代。

その後も精力的に新たな挑戦を続け、ファンを魅了し続けています。

今後の彼女の活躍にますます期待が高まりますね!