羊たちとともに

このブログでは、私の気づいたことや興味を持ったものを紹介しています。 皆さんと一緒に楽しい時間を過ごせたら嬉しいです。 よろしくお願いします。

天野裕加里は若い頃から女優志望!!お笑い芸人への転身の理由

天野裕加里(あまの ゆかり 1981年10月30日生)さんは、現在お笑いコンビ『あっぱれ婦人会』の一員として活躍していましたが、若い頃は女優としてのキャリアを歩んでいました。
今回は、天野裕加里さんの若い頃のエピソードや、女優からお笑い芸人への転身について書きます。

 

(映像:TEPPENチャンネル)

天野裕加里:幼少期から女優志望!!

(画像:Sony Music Artists Inc.)

天野裕加里さんは22歳から28歳まで女優として活動。
彼女は宝仙学園高等学校を卒業後、舞台女優としての道を歩み始めました。


しかし、女優としての成功はなかなか掴めなかったといいます。

 

天野さんは幼少期から女優になることを目指しており、役者として事務所に所属していたこともありました。


しかし、仕事がなかなか得られず、自ら舞台に立つ必要があると感じ、小劇場での活動を始めます。


当時はコメディを中心とした劇団に学びながら参加していました。

天野裕加里:『コメディ中心の女優になりたい!』

天野さんは28歳の頃に危機感を感じ、ワタナベコメディースクールの養成所に「コメディ中心の女優になりたい」との思いで入学。


最初の授業でBOOMERの河田キイチさんが登場し、ネタ作りを教えてくれたことで、天野さんはお笑いに出会います。


お笑い、演劇、ダンス、芝居の授業を通じて、自分でネタを作る楽しさに目覚め、「笑いも取りたい」という思いから芸人への道を歩むことになります。

 

(天野さん)『自分でネタを作ることがとても面白いと感じて、笑いも取りたいという思いから芸人になることを決めました。


もともと芸人になるなんて全く考えていなかったんです。

天野裕加里:お笑い芸人としてのキャリア

ワタナベコメディスクールでの経験を経て、天野さんはお笑い芸人としての道を歩み始めました。


同期生と女性コンビ『お月みん!』を結成し、その後『メイプルタウン』というトリオとしても活動しました。


ワタナベコメディスクール11期生の天野と、元トリオ『チル弁天』の山梨芽衣

(やまなし めいこ 1983年1月13日生)が組んでいたコンビ『お月みん!』に、


同じく11期生で、元コンビ『なでしこ☆Bon2』のみっこべー(1987年6月7日生)が加わり、トリオ『メイプルタウン』(2013年3月解散)を結成します。


これらの経験が、現在の「あっぱれ婦人会」結成へと繋がっていきます。

天野裕加里:『あっぱれ婦人会』の結成

(画像:FM NACK5

2018年、天野裕加里さんは木下あやきのした あや 1975年9月5日生)さんと共に「あっぱれ婦人会」を結成。


二人はそれぞれの劇団での経験を活かし、独自のコメディスタイルを確立しました。
木下さんは10年間劇団で裏方をしていましたが、芝居が下手でキャストに選ばれず、限界を感じて芸人に転向。


インターネットで相方を見つけ、「主婦とフリーター」というコンビを結成。


芸人を始めて、簡単にお客さんの前に立てることに感動し、演出家に選ばれる必要がないことが嬉しかったと語っています。

 

天野と木下の出会いは劇場『V-1スタジオ』(東京都健康プラザハイジアB1F)での共演。


1年後、天野が木下を検索し、互いにコンビを解散していたことを知り、
「3か月お試しで」と木下を誘い、2人で「あっぱれ婦人会」を結成。


最初は「大正ロマネチカ」という名前だったが不評で、放送作家のアドバイスで「あっぱれ婦人会」に改名。


2023年10月、モコちゃん(1965年10月12日生 本名:橋本智子)が加入してトリオに。
2024年1月、解散を発表。

 

天野裕加里さんの若い頃からのエピソードを振り返ると、彼女の情熱と努力がいかに大きな役割を果たしてきたかがよく分かります。


女優としての夢を追い続けた彼女が、コメディの世界に飛び込み、新たな道を切り開いた姿は、多くの人々に勇気と希望を与えます。

 

「あっぱれ婦人会」としての活動を通じて、天野さんは笑いと感動を届け続けています。


彼女のこれからの活躍にも期待が高まります。


天野裕加里さんのストーリーは、夢を追い続けることの大切さを教えてくれる素晴らしい例です。