日本の歴史において、政治家と芸能人の家系が交わることは珍しい。
安藤和津(あんどう かづ 1948年3月6日生まれ)さんは、その珍しい例の一人です。
彼女の祖父は、日本の政治史において重要な役割を果たした犬養毅元首相であり、彼女自身もエッセイスト、コメンテーターとして活躍しています。
(映像:ピーター / 奇跡のプラチナライフ ! ♡「OZIBAチャンネル」)
安藤和津:家系図の中の華麗なる人物たち
(画像:女性自身)
安藤和津さんの家系図は、まるで日本の近代史を飾る人物たちの集合写真のようです。
犬養毅元首相から始まり、法務大臣を務めた父・犬養健、そして芸者から女将へと変わり、料亭を開いた母・荻野昌子まで、彼女の家族はそれぞれが時代の一面を担ってきました。
安藤和津の祖父・犬養毅『憲政の神様』
(画像:wikipedia)
犬養毅(いぬかい つよし 1855年6月4日-1932年5月15日)
彼は護憲運動を起こし、国民主導の政治を実現した内閣総理大臣として知られています。
しかし、彼の政治生涯は「五・一五事件」での悲劇的な暗〇によって終わりました。
この事件では、政府に不満を持つ陸海軍青年将校によって襲撃され、暗〇されたのです。
犬養毅は、自由民権運動に貢献し、大正デモクラシーを牽引し、普通選挙の実現に尽力するなど、日本の政治史において重要な役割を果たしました。
「第1次護憲運動」(憲法に基づく政治を目指す運動)を主導し、
後に護憲三派(立憲政友会、立憲改進党、革新倶楽部の3党の協力体制)を結成。
立憲政治(憲法を基盤とする政治体制)に尽力し、「憲政の神様」と称される。
安藤和津の父・犬養健『法務大臣』
(画像:wikipedia)
犬養健(いぬかい たける)は1896年生まれの東京出身の政治家。
元白樺派の小説家で、父の犬養毅が首相になると首相秘書官を務めました。
戦後公職追放を受けましたが、解除後に日本民主党総裁となり、保守連携を推進しました。
1960年に現職議員のまま64歳で死去しています。
犬養健は妻の仲子夫人(長與稱吉の次女)との間に1男1女をもうけました。
しかし妾である芸妓の荻野昌子との間に非嫡出子の安藤和津が生まれ、後に認知します。
安藤和津のいとこの娘・緒方貞子【国連難民高等弁務官】
(画像:wikipedia)
犬養毅は緒方貞子の曽祖父にあたり、緒方貞子はそのひ孫になります。
緒方貞子は国際政治学者として知られ、日本人初の国連難民高等弁務官を務めました。
彼女はまた、日本における模擬国連活動の創始者でもあります。
緒方貞子さんの母親は恒子さんといいます。
恒子さんの母親は、犬養毅の長女で芳澤謙吉と結婚した操さんです。
したがって、操さんの娘である恒子さんと犬養健の娘である安藤和津さんはいとこ関係にあり、安藤和津さんから見ると緒方貞子さんは「いとこの娘」にあたります。
この家系は日本の歴史において重要な位置を占めています。
安藤和津:多彩なキャリアの持ち主
(画像:朝日新聞DIGITAL)
安藤和津さんは、テレビやラジオでの出演のみならず、多くの著書を世に送り出しています。
彼女の作品は、家庭の問題から介護、そして食に至るまで、幅広いテーマを扱っており、多くの人々に影響を与えてきました。
学習院初等科、学習院女子中・高等科を経て、上智大学文学部独文科を中退。
2年間の英国留学後、1979年に奥田瑛二(俳優・映画監督)と同棲を経て結婚。
長女は安藤桃子(あんどう ももこ 映画監督)、次女は安藤サクラ(あんどう さくら 本名:柄本 さくら 女優)。
(画像:女性自身)
『犬養和』名義時代にTBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO』で中継キャスターとしてデビューし、TVリポーターやニュースキャスターを務めた。
『CNNデイウォッチ』(1986年)元キャスターで、ニッポン放送『テレフォン人生相談』(2000年〜2003年)のパーソナリティも担当。
在宅介護で母を看取った後、13年間うつ病を患い、後に寛解。
自身の体験を基に著述や講演を行っています。
安藤家の現代への影響
(画像:めざましmedia)
安藤和津さんの家族は、政治家から芸能人、そしてエッセイストに至るまで、多岐にわたる分野で日本社会に影響を与えてきました。
彼女の家系は、日本の文化と歴史の中で、いかに多様な才能が育まれてきたかを示しています。