中村雅俊(なかむら まさとし 1951年2月1日生まれ)さんは、1974年の主演ドラマ『われら青春!』(日本テレビ)を皮切りに、数々のヒットドラマで青春スターとしての地位を築いてきました。
しかし、そのプライベートはファンには知られざるものでした。
今回は、中村さんと妻・五十嵐淳子さんの馴れ初めや結婚までの舞台裏に迫ります。
(映像:中村雅俊 - トピック)
中村雅俊さんのお嫁さん:元清純派アイドルの五十嵐淳子
中村雅俊さんと五十嵐淳子(いがらし じゅんこ 1952年9月20日生まれ)さんは、ドラマ『俺たちの勲章』(1975年 日本テレビ系)や映画『凍河』(1976年)で共演し、1977年2月1日に結婚(当時妊娠5ヶ月)。
その後、同年7月に長男の俊太さんが誕生し、その後は芸能活動を一時休止しました。
出会いは中村さん主演のドラマ『俺たちの勲章』で、共演をきっかけに2人の関係は始まりました。
五十嵐さんは当時を振り返り
「それまで恋愛経験がほとんどなかったのに、すぐに同棲し、結婚してしまいました。自分でも驚いています」
と語っていました。
結婚は「できちゃった結婚」でした。
五十嵐淳子さんがオープンな交際を認めるも…
週刊誌にスクープされた後、五十嵐さんは交際を認めつつも、結婚については控えめな様子。
しかし、お互いの母親からの好意は芽生えており、その後の展開に大きな影響を与えました。
『俺たちの勲章』14話にゲスト出演した五十嵐は、最初は松田優作やスタッフらとも一緒にいたが、いつの間にか中村と2人だけで行動するようになったと述べられています。
2人は気楽なジーパン姿で、中村はトレードマークのゲタを履いていたとされています。
焼き鳥屋やラーメンの屋台などにも堂々と現れ、そのオープンな交際ぶり。
五十嵐さんは女性誌のインタビューで
「中村さんには不思議な魅力がある」
「気負いがないから何でも話せる」
とコメントしました。
また今後については、
「正直、わかりません。今はお互いに仕事が大事だと思っています。結婚の対象としてではなく、今の状態を続けていきたい」
と述べています。
中村・五十嵐両家の母親たちは…
両家の母親の反応は対照的でした。
五十嵐さんの母親は中村さんに好意的であり、結婚を期待するコメントを残しますが、中村さんの母親は当初猛反対でした。
しかし、偶然の出会いが状況を一変させ、結婚へと至る道が開かれました。
五十嵐の母親は、
「中村さんが娘の将来の夫になるようなそんな気がしないでも…」
と期待を口にしました。
一方、中村さんは1976年6月、仕事を兼ねて母親とヨーロッパ旅行中、偶然を装って五十嵐を紹介しました。
母親はこれまで普通のお嬢さんを望んでいましたが、五十嵐を見て一目で気に入ったといいます。
両池の母親たちの了解も得られ、結婚は秒読み段階に入りました。
中村雅俊♡五十嵐淳子【婚約会見】
1976年12月10日、中村さんと五十嵐さんは婚約会見を開きます。
プロポーズの言葉はなく、婚約指輪もまだないというシンプルな告白でした。
その後、2月1日に都内の教会で結婚式が挙げられます。
5日に行われた披露パーティーでは、参加費が男性2600円、女性2400円と、新郎新婦の年齢に因んで設定されました。
さらに、中村のファンクラブからも抽選で140人が参加しました。
結婚でファンクラブ会員が激減し『裏切り者雅俊』と報じられる!
(画像:スポニチ)
結婚のニュースはファンに衝撃を与え、ファンクラブ会員数が激減。
一部からは批判の声も上がり、「裏切り者雅俊」というレッテルを貼られることもありました。
しかし、中村さんはその後の人生や仕事に対する哲学を語り、自らの決断に背景を与えました。
デビューして間もない結婚だったため、マネージャーや母親など周囲から強く反対されました。
週刊誌の記者からも
「仕事がなくなるぞ」
と忠告され、当時1万人いたファンクラブ会員も一気に1800人まで減少しました。
当時は結婚だけで批判を浴びる時代であり、
「裏切り者雅俊」と報じたスポーツ紙は今でもその記事を持ち続けていますと、後に中村さんは述べています。
また「大きな決断をするときは、どちらの道を選んでも少なからず後悔はあるものです。
しかし、困難が待ち構えているかもしれませんが、自分が心からやりたいことを選んだ方が、長い目で見たら後悔しないと思います。
松下幸之助の名言にあるように、
『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる』
という考え方が重要です。どんなことでも乗り越えれば失敗ではないという気持ちでいれば、気が楽になるでしょう。」
と語っています。
中村雅俊と五十嵐淳子の結婚は、時代の波に乗ることなく、自らの信念に従って進んだ結果でした。
結婚後も二人は互いを支え合い、共に歩んでいます。