一ノ瀬ワタルさんは、俳優として多くの作品に出演し注目されていますが、彼の生い立ちには多くの困難が伴っていました。
今回は、一ノ瀬さんの幼少期から俳優デビューのきっかけまでを振り返ります。
一ノ瀬ワタル:厳しい環境での幼少期【5歳で父他界】
1985年7月30日、福岡県久留米市で生まれ、佐賀県嬉野市塩田町で育った一ノ瀬ワタルさん。
彼は5歳の時に父親(34歳)を亡くし、6歳年上の兄と弟とともに母子家庭で育ちます。
経済的な苦労を抱えた家庭で育った彼は、母親の強い支えを受けながら成長しましたが、
幼少期には左目の病気に悩まされ、学校へは午前中しか通えない日々を送っていました。
一ノ瀬ワタル:中学卒業後、格闘家を目指して上京
地元佐賀県の嬉野市立塩田(うれしのしりつしおた)中学校卒業後、一ノ瀬さんは格闘家になる夢を抱いて上京。
しかし、東京での生活は非常に厳しく、アルバイトと練習の両立が難しく、栄養失調に陥ることもありました。
彼自身、「ビーチサンダルが壊れても新しいものを買えない」というほど貧しい生活を送っていたと振り返っています。
一ノ瀬ワタル:沖縄で内弟子となりタイでの修行
(画像:タイ ウォー・シンサネージム)
一ノ瀬さんはその後、沖縄の真樹ジムオキナワで内弟子として格闘技の修行を始めます。
上京直後の彼が直面した生活の厳しさは、夢を追いかける若者にとって過酷なものでした。
アルバイトと格闘技の練習を両立させることが非常に困難だったため、体力的にも精神的にも限界に達したと考えられます。
格闘技に集中できない環境で、次第に目標達成への焦りやストレスが溜まっていったことでしょう。
そこで、彼が沖縄の真樹ジムオキナワに内弟子として入ることを選んだのは、環境を一新し、純粋に格闘技に打ち込める場を求めた結果だと思われます。
内弟子という形態は、弟子として生活の全てを師匠やジムに委ね、技術だけでなく精神的な鍛錬を受ける環境です。
アルバイトとの両立に悩んでいた一ノ瀬さんにとって、こうした集中できる環境はまさに必要な選択肢だったと考えられます。
また、沖縄やタイでの修行は、彼にとって格闘技を学ぶ以上に「自分を試す」機会であったのではないでしょうか。
環境が厳しいほど、彼の持つ強い意思や忍耐力が試され、それが彼のその後の俳優としてのキャリアにも深い影響を与えたと感じます。
このような道を選んだことで、一ノ瀬ワタルさんは自らの限界を押し広げ、困難を乗り越えていく力を養ったのではないでしょうか。
ムエタイの技を身につけるためタイに渡り、現地のジムで2年間修行。
タイでの修行中に顔に傷を負うこともありましたが、その経験が彼の人生に大きな影響を与えました。
一ノ瀬ワタル:俳優デビューのきっかけ『クローズZERO II』
一ノ瀬ワタルさんの俳優デビューは、2009年に公開された映画『クローズZERO II』でのエキストラ出演がきっかけでした。
(一ノ瀬さん)「格闘家を目指して上京しましたが、アルバイトとの両立が難しく栄養失調にもなりました。
その後、沖縄やタイのジムで住み込み修行を続けましたが、格闘家としての芽は出ませんでした」と過去の貧困と挫折を明かしています。
一ノ瀬さんは、沖縄のジム館長の紹介で三池崇史監督と知り合うと、三池監督が彼を抜擢し、映画『クローズZERO II』に出演。そこで俳優としての道が開かれました。
その後、ジムを移籍して再び上京。アルバイトをしながらエキストラとして活動していたところ、撮影現場でスカウトされ、俳優を志すことを決めます。
一ノ瀬ワタル:サンクチュアリでの大役と現在
一ノ瀬ワタルさんのキャリアにおいて大きな転機となったのは、Netflixシリーズ『サンクチュアリ -聖域-』での主演です。
この作品では、新人力士“猿桜”役を熱演。彼自身の過去の苦労が役柄に重なり、感情豊かな演技を見せています。
(一ノ瀬さん)「猿桜は自分そのものだと思いました」と語り、どん底から這い上がるキャラクターに強く共感したといいます。
撮影中も「演じている感覚がなくなり、猿桜が自分自身だった」
と、役柄との深い一体感を明かしています。
一ノ瀬ワタルさんは、幼少期から現在に至るまで多くの困難を乗り越え、自らの努力で道を切り開いてきました。
その経験が彼の演技に深みを与え、これからも多くの人々に感動を与え続けることでしょう。