
昭和から令和にかけて、日本映画界を彩ってきた名女優・浅丘ルリ子さん。
スクリーンの中で数々の名演を残してきた一方で、私生活では結婚や恋愛、そして子供を持たないという独自の道を歩んできました。
女優としての人生を貫いたその背景には、どんな思いがあったのでしょうか?
今回は、浅丘ルリ子さんと元旦那・石坂浩二さんとの馴れ初めや離婚の真相、さらに小林旭さんとの事実婚の過去、そして「子供を持たなかった理由」や「現在の暮らし」まで紹介します。
(映像:日テレNEWSカルチャー【公式】)
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浅丘ルリ子 元旦那・石坂浩二との結婚生活は30年間続いていた
浅丘ルリ子(あさおか ルリこ 1940年7月2日生 本名:浅井 信子 あさい のぶこ)さんが正式に結婚したお相手は、俳優の石坂浩二(いしざか こうじ 1941年6月20日生 本名:武藤 兵吉 むとう へいきち)さんです。
1971年、浅丘さんが30歳のときに結婚し、長年にわたる俳優同士の夫婦生活が始まりました。
2人は芸能界きってのおしどり夫婦とも言われていましたが、2000年に離婚。
なんと結婚生活は30年という長さでした。
離婚は石坂浩二さんからの申し出だったとされ、浅丘さん自身は「彼が別れたいと言わなければ、今も一緒にいたかもしれない」とコメントしています。
円満離婚だったことがうかがえます。
浅丘ルリ子 元旦那・石坂浩二:離婚の背景
浅丘ルリ子さんは2024年4月29日放送の『徹子の部屋』で、60歳の節目に「自分の仕事を続けたい」と離婚を切り出したと語っています。
女優として家庭との両立が難しく、「女性として、奥さんとしてできることをほとんどできなかった」と感じた末、離婚を決意したとのことです。
浅丘ルリ子と元旦那・石坂浩二の離婚:別居と仮面夫婦の期間
離婚にあたっては、実際に浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんが長らく別居状態にあったことが報じられています。
仮面夫婦とも称される関係で、破綻状態は30年以上にも及んでいたとの声もあります。
浅丘ルリ子と元旦那・石坂浩二の離婚:石坂浩二側の「母親の介護」という説明
石坂浩二さんは離婚会見で、「年老いた母親の介護をするため」として、あえて浅丘さんを巻き込むべきではないと語りました。
これにより、離婚の理由を軽やかに説明しようとしたようです。
一方で、記者らからは「仮面夫婦だった」ことや、離婚の“本当の背景”として別の女性の影が取り沙汰されていたとの報道もあります。
浅丘ルリ子と元旦那・石坂浩二の離婚:浅丘ルリ子の視点
一方、浅丘ルリ子さんはご自身の発言の中で、離婚を切り出したのは石坂さんだったと述べています。
そして「離婚理由が理解できなかった」としつつも、石坂さんに新たな“好きな人”ができたからではないかという思いを抱きつつ、最終的に応じたと語っています。
離婚会見は2000年12月27日に行われましたが、浅丘さんの希望で「二人そろって会見」を実現。
これによりズレた報道を避け、きちんと公に説明する形式を選んでいます。
お互いが30年以上築いた関係を円満な形で区切るための配慮と、公私の折り合いの結果でもあったと言えるでしょう。
浅丘ルリ子 元旦那・石坂浩二との馴れ初め:1971年ドラマ共演
浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんの関係は、1971年の春に大きく動きました。
浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんの出会いのきっかけは、1971年放送の日本テレビドラマ『2丁目3番地』での共演です。
この共演を通じて親密になり、そこから交際がスタートしたとされています。
1971年3月下旬、フジテレビのトーク番組『スター千一夜』内で、石坂浩二さんがプロポーズを行い、約8日前の3月15日に婚約が成立。
浅丘さんはこの時のプロポーズについて、「細かいことまでよく気を配る思いやりのある人」と感じたそうです。
プロポーズ後、3月21日の夜には浅丘さんが話し合いの場を設け、その場には「芸能界のお母さん」的存在とされる森光子さんも同席。
浅丘さんは森さんの励ましが決断の支えになったそうで、最終的に「一生この人についていこう」と覚悟したとのことです。
「2丁目3番地」での共演が、お互いにとって大きな転機になりました。
石坂さんは浅丘さんに強い想いを抱き、一方の浅丘さんも相手の人柄や配慮に惹かれたことで、交際が急速に深まっていったといわれています。
浅丘ルリ子 元旦那・小林旭:若き日の情熱的な【事実婚】関係
石坂浩二さんとの正式な結婚の前には、俳優の小林旭さんとの事実婚もありました。
1960年頃、浅丘さんが20歳の頃に始まった関係で、芸能界の大物カップルとして注目されていました。
浅丘さん自身も「夫婦生活のようなことをしていた」と自伝で振り返っています。周囲も二人の交際を温かく見守っており、共演作品は“自然な演技”と歓迎されるほどでした 。
1958年公開の映画『絶唱』(ほか『南国土佐を後にして』『ギターを持った渡り鳥』など)で共演を重ねたことがきっかけで、二人は1960年頃から交際と同棲関係に入っていきました。
当時の浅丘さんは20歳で、毎日一緒に過ごすほど親密な関係だったといわれています。
結婚への意識もあったと言われ、小林さんは浅丘さんの父親に結婚を申し込んだことがありました。
しかし、浅丘さんの父親は「まだ若すぎて、女優としての将来を優先させたい」と断固反対。
また小林さんの父親が浅丘さんの父と一緒に飲んだ際、父親が酔って「うちの娘はやれねえ!」と発言し、親同士の溝が決定的に広がったと小林さん自身が語っています。
父の反対により二人の関係はフェードアウト。
浅丘さんが「結婚を真剣に考えていた」と語るほどでしたが、二人は徐々に疎遠になり、そのまま別々の道を歩むことになりました。
わずか1年ほどで関係は終わり、1961年8月に破局。
破局後も、ふたりは良好な関係を保っています。
年に数回、電話で「元気?」と連絡を取り合う程度とのことです。
若さゆえの情熱と、時代背景に翻弄された選択が重なる、深いストーリーとも言えるでしょう。
浅丘ルリ子:子供を持たなかった理由とは
浅丘ルリ子さんにはお子さんはいません。
本人いわく、子供は大好きで、見かけると飛んでいって抱きしめたくなるほどだそうです。
にもかかわらず、自分自身が母親になることは一度も考えなかったのだとか。
その理由は、女優業に対する情熱が非常に強かったから。
演じることにすべてを注ぎたいという思いが、家庭よりも仕事を選ばせたのです。
一方で後悔の念もあり、2021年8月のテレビ番組『ボクらの時代』では、声を震わせるほどの思いを明かしています。
(浅丘ルリ子さん)「あたし、1人だけでもいいから子供がほしかった。それだけが悔やまれてならない」
この発言からは、仕事一本で生き抜いた結果、後になって湧いた感情が感じられます。
当初、石坂浩二さんは浅丘さんとの結婚に際して「家庭に入る必要はない、女優を続けてほしい」と理解を示していたそうです。
これにより、「子供を持たない選択」に対する精神的な後ろ盾となりました。
しかし実際には、石坂さん自身も別の人との関係や、介護を理由に不満を抱えていた節があり、浅丘さんとの育児方針の不一致が後の離婚につながったという指摘もあります。
浅丘ルリ子さんの場合、「仕事に全力を注ぐ人生」を選び、その道を進んだ結果として「母になる選択肢」はあえて取らないという覚悟がありました。
その一方で、時を経て芽生えた母性への想いが、彼女にとっては唯一の遺憾だったようです。
昭和の女優として、自分の生き方を貫いた姿勢は今も多くの人に影響を与えています。
浅丘ルリ子 元旦那・石坂浩二との離婚後も独身を貫く理由
2000年に石坂浩二さんと離婚してから、浅丘ルリ子さんは再婚せず独身を貫いています。
それでも寂しさを感じさせることはなく、今も女優として現役で活動を続けています。
自立した生き方や、自分の道を貫く姿は、女性のロールモデルとも言えるのではないでしょうか。
家族という枠にとらわれず、自分の人生を生きるという価値観が垣間見えます。
浅丘ルリ子:現在も第一線で活躍する女優
1940年7月2日生まれの浅丘ルリ子さんは、2025年現在で84歳を迎えています。
それでもなお、テレビや映画でその姿を見る機会があり、年齢を感じさせない美しさとオーラを放ち続けています。
年齢を重ねてもなお、第一線で活躍するその姿は、多くの人に勇気や希望を与えてくれる存在です。
2024年春のインタビューで、浅丘さんはこう明かしています。
健康に不安はなく、「病気もけがもない」と元気そのもの。
終活にはまったく興味がなく、「終わりを考えても面白くもへったくれもない! 生きている限り楽しいことを考える」と笑顔で語っています。
この発言から、彼女が年齢や将来を過度に気にせず、毎日を前向きに楽しんでいる姿勢が伝わってきます。
また浅丘さんは歌うことも日々の楽しみだそうです。
昔、歌手を目指した経験もあり、現在は美空ひばりさんの歌謡曲などを口ずさむのが日課とのこと。
演技に関しては「2〜3行のセリフを読んでやりたいかどうか直感で決めてきた」と自らの演技スタイルを語っており、70年を超えるキャリアの原動力になっているようです。
まとめ|自分らしい人生を貫いた浅丘ルリ子という女性
長年にわたり第一線で活躍し続けてきた浅丘ルリ子さんは、結婚・恋愛・家庭といった一般的な価値観にとらわれず、「自分らしく生きること」を選び抜いた女性です。
元旦那との関係や、子供を持たなかったという決断もまた、彼女の信念と女優としての誇りがあってこその選択でした。
84歳を迎えた今もなお、明るく前向きに人生を楽しみ、現役女優としての道を歩み続ける姿に、多くの人が心を打たれるのではないでしょうか。
浅丘ルリ子さんの生き方は、これからの時代を生きる私たちにとって、ひとつの力強い指針になるように思います。
