坂東彌十郎は、歌舞伎界で知られる実力派の役者です。
彼の妻・容子さんとの出会いから結婚、そして家族の支えによって築かれた華やかな家系について書きます。
坂東彌十郎のプロフィール
坂東彌十郎(ばんどう やじゅうろう 1956年5月10日生)は、歌舞伎界で知られる実力派の役者です。
彼の本名は本間寿男(ほんま ひさお)で東京都で生まれました。
身長は183cmと歌舞伎役者の中でも特に高く、その存在感は舞台でもひときわ目立ちます。
坂東彌十郎の家系と家族
坂東彌十郎の家系は、祖父の十三代目守田勘弥(もりた かんや)から続く伝統ある家系です。
父親の坂東好太郎は、歌舞伎役者で銀幕のスターとして知られ、息子の坂東新悟(ばんどう しんご 1990年12月5日生)も歌舞伎役者として活躍しています。
この家系は、歌舞伎界においても特に注目される存在です。
十三代目守田勘弥(坂東彌十郎の祖父)
十三代目守田勘弥(じゅうさんだいめ もりた かんや)は、1885年に東京で生まれた歌舞伎役者です。
彼の芸風は鷹揚で、古典歌舞伎から新作歌舞伎、翻訳劇まで幅広くこなし、特に『新版歌祭文』の久松や『助六』の白酒売新兵衛などが当たり役です。
坂東好太郎(坂東彌十郎の父)
坂東好太郎(ばんどう こうたろう)は、十三代目守田勘弥の実子で、映画や舞台で活躍した俳優です。
彼は銀幕のスターとして知られ、『浪花女』(1940年)、『歌麿をめぐる五人の女』(1946年)など多くの作品でその存在感を示し、歌舞伎界においても重要な役割を果たしました。
このように、守田勘弥と坂東好太郎は、それぞれの時代において歌舞伎や映画界で大きな影響を与えた人物です。
坂東彌十郎の華やかな家族構成
(C)NHK
坂東彌十郎の家族は、以下の通りです:
- 父親: 坂東好太郎 - 映画スターとしても知られる歌舞伎役者。
- 母親: 飯塚敏子 - 映画女優。
- 兄: 二代目坂東吉彌 - 関西歌舞伎の脇役として活躍。
- 妻: 容子さん - 元キャビンアテンダント。
- 息子: 坂東新悟 - 歌舞伎役者として活躍中。
このように、坂東彌十郎の家族は、歌舞伎や映画界で多くの才能を持つ人物たちで構成されています。
坂東彌十郎と妻・容子さんとの出会いと結婚
坂東彌十郎の妻、容子さんは元キャビンアテンダントで、友人の主催するパーティーで出会いました。
パーティー会場の隅でつまらなさそうにしていた容子さんに声をかけたことがきっかけで交際が始まり、結婚に至りました。
当初、容子さんは坂東彌十郎に対して特に強い印象を持っていなかったようですが、彼の熱心なアプローチに次第に心を開いていきました。
坂東彌十郎は「結婚したい」と何度も伝え、その真剣さが容子さんの心を動かしました。
結婚後、容子さんは梨園の妻として、夫のスケジュール管理や食事の準備、チケットの販売など多岐にわたるサポートを行っています。
彼女の支えがあってこそ、坂東彌十郎は歌舞伎役者としての活動を続けることができています。
このように、坂東彌十郎と容子さんの関係は、互いの理解と支え合いによって築かれたものです。
彼らの絆は、歌舞伎界においても特別な存在となっています。
坂東彌十郎の息子・坂東新悟の活躍
息子の坂東新悟(ばんどう しんご 1990年12月5日生)は、父親と同じく179cmの高身長でありながら、女形としての活躍が目覚ましい若手役者です。
2014年には自主公演『やごの会』を立ち上げ、父親と共に新しい歌舞伎の形を模索しています。
1995年、歌舞伎座「市川猿之助七月大歌舞伎『景清』」の敦盛嫡子保童丸で初代坂東新悟として初舞台。
2014年に父と『やごの会』を立ち上げ、2016年には海外公演(フランス(パリ)、スイス(ジュネーヴ)、スペイン(マドリード))を実施。
2017年、『スーパー歌舞伎II ワンピース』でナミ役などに抜擢。
2018年、重要無形文化財に認定。
2023年にはNHKドラマ『大奥』老中・板倉勝静(いたくら かつきよ)役でテレビデビューし、2024年に結婚を発表。
坂東彌十郎の芸歴とその影響
坂東彌十郎は、若い頃から市川猿之助や中村勘三郎の下で修行を積み、その経験が彼の演技に大きな影響を与えました。
市川猿之助の門下での修行
1983年、坂東彌十郎は三代目市川猿之助(二代目猿翁)の門下入り。
猿之助は、家の出を問わず若い役者を育てることに熱心で、彌十郎もその一環として多くの舞台で経験を積みます。
猿之助一座での活動を通じて、彼は古典歌舞伎から新作歌舞伎まで幅広い演技を学びました。
また猿之助の指導の下、彌十郎は、三代目猿之助演出のオペラ『コックドール』(1984年)や坂東玉三郎の『夕鶴』(1997年)などの演出助手としても活動し、海外公演にも参加。
この期間に得た経験は、彼の演技の幅を広げ、柔軟性を持たせることに大いに役立ちました。
中村勘三郎との共演
勘三郎は、『平成中村座』を立ち上げ、新しい歌舞伎の形を模索していました。
彌十郎はこのプロジェクトに参加し、勘三郎や十代目坂東三津五郎と共に新しい歌舞伎を創り上げるために尽力しました。
2003年、ニューヨークでの中村座公演『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』三段目「住吉鳥居前」(通称: 鳥居前)、六段目「釣船三婦内(さぶうち)」(通称: 三婦内)の三婦(さぶ)が高い評価を受けた。
このように、市川猿之助と中村勘三郎の下での修行は、坂東彌十郎の演技力を高めるだけでなく、彼の芸術観や舞台に対する姿勢にも大きな影響を与えました。
これらの経験が、彼の現在の幅広い芸風を支える基盤となっています。
坂東彌十郎さんの華やかな家系と彼を支える家族の絆は、歌舞伎界だけでなく多くの人々に感動を与えています。
これからもその伝統と革新の精神を受け継ぎ、家族と共にさらなる活躍を期待したいですね。