
いとうあさこさんは、明るくユーモアあふれるキャラクターで知られるお笑い芸人ですが、実は隠れお嬢様として知られる驚きの名家出身です。
今回は、父親や祖父をはじめとした家族背景、育った環境、学歴まで解説します。
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いとうあさこの父親・伊藤新造さんの経歴と家系
いとうあさこ(1970年6月10日生 本名:伊藤 麻子)さんの父親、伊藤新造(いとう しんぞう)さんは東京大学法学部卒業後、富士銀行(現在のみずほ銀行)の常務取締役を務めました。
芙蓉総合リースや富士総合研究所の社長も歴任するなど、まさに金融界の重鎮です。
当時の富士銀行は都市銀行のトップクラスとして知られ、伊藤新造さんは名門家系の象徴ともいえます。
いとうあさこの父方の祖父・伊藤啓介さんと曽祖父の功績
いとうあさこさんの父方の祖父である伊藤啓介(いとう けいすけ)さんは東京帝国大学(現・東京大学)経済学部卒業後、三井銀行に入行。
秘書課長まで昇進し、高岳製作所取締役も務めました。
伊藤啓介は埼玉県寄居町に生まれ、幼くして父・吉田正治を亡くし義兄の医師・幾瀬量に育てられました。
幾瀬の先輩で日本煉瓦製造営業部長の伊藤新作に引き合わされ、末期養子として伊藤家に入った人物です。
さらに曽祖父の伊藤新作さんはアメリカ・マサチューセッツ大学卒業後、アメリカで雑貨店を経営。
渋沢栄一が設立した日本煉瓦製造株式会社の初代営業部長として東京駅や赤坂離宮の煉瓦を納品するなど、輝かしい実績を持ちます。
いとうあさこの母親・伊藤美恵さんと母方の家系
いとうあさこさんの母親の伊藤美恵さん(旧姓:田嶋)は資産家令嬢出身で、家庭を支える完璧な「プロ主婦」として知られています。
いとうさんの母方の祖父、田嶋恩(たじま めぐみ)さんは早稲田工手学校卒業後、東京測器株式会社(現・日本ファイリング)の社長としてスチール家具事業で成功。
1961年には紫綬褒章を受章。
曽祖父の恩田勝次郎さんも発明家として活躍し、関東大震災をきっかけに燃えない家具の開発に取り組むなど、母方も実業家として名を馳せた家系です。
いとうあさこの兄弟姉妹と家族構成
いとうあさこさんは、3人兄妹の長女 として生まれています。
兄と妹がいます。
いとうあさこの学歴と生い立ち
いとうあさこさんは、幼稚園から名門教育を受けています。
東京出身。家庭は学問・教養を重んじる環境で育ち、父親や兄も東大出身というエリート家庭
いとうあさこお嬢様:千駄ヶ谷の豪邸と恵まれた環境
東京都渋谷区千駄ヶ谷または近隣の 松濤(しょうとう) にあるいとうあさこお嬢様のご実家は、当時「門から玄関まで車で3分かかる」と言われるほどの豪邸。
いとうあさこ本人は「それは誇張だ」「歩いて4歩くらい」という否定もしています。
1980年代には坪単価1000万円〜5000万円という超高級住宅地に位置していました。
いとうあさこお嬢様:自立への家出とお笑いへの道
いとうあさこお嬢様は、19歳で家出を経験。
尾崎豊の歌詞に影響され、「大人の敷いたレールを走るのは何だろう?」と考え、高校卒業後に図書館に行くと言って家を飛び出し、お笑い芸人への道を歩み始めます。
ロフト付きの3畳ほどの狭いアパートを借りて住んだが、家出して間もなく、3日か4日で家族に見つかることもあった。
「家出しっぱなし、出たまんま」 と本人が語っており、成人式にも出席しなかったなど、家を出た後は実家とは距離を置いていた。
1997年に「ネギねこ調査隊」というコンビを結成し、その後2003年にコンビを解散。
ピン芸人として活動を始める。
ピン芸人になってからもしばらく目立ったヒットは無く、さまざまな番組でコツコツと出演を重ね、自虐ネタやモノマネなどを工夫してきた期間も。
約40歳のとき、「浅倉南のネタ」が注目され、遅咲きながら全国的な知名度を得るようになりました。
まとめ
いとうあさこさんは、父母や祖父母の代から続く名門の血筋に生まれ、学問や品格を大切にする家庭で育ちました。
確かに「隠れお嬢様」と呼ぶにふさわしい環境ですが、19歳で家を飛び出し、自らの力で道を切り拓いたからこそ、今の独自の人柄と芸風があります。
名門家系の背景と庶民的な明るさのギャップが、多くの人から愛される理由なのかもしれませんね。


