羊たちとともに

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小芝風花のフィギュアスケート選手時代の成績!!レベルは浅田真央と同レベル⁉

小芝風花こしば ふうか 1997年4月16日生)さんは女優としての活動を始める前に、フィギュアスケート選手としても優れた成績を残していました。
彼女がフィギュアスケートを始めたのは小学3年生の時で、中学2年生まで続けていましたが…

 

(映像:マイナビニュース【エンタメ・ホビー】)

小芝風花荒川静香に憧れてフィギアスケート始める

小芝風花(こしば ふうか 1997年4月16日生)さんは、もともと2年間器械体操を習っていましたが、


荒川静香さんが2006年トリノオリンピックで金メダルを獲得したことで
フィギュアスケートに興味を持ち、母親にお願いしてスケートを始めます。

 

小芝風花さん)「ジャンプが大好きで、いつもジャンプの練習ばかりしていました。達成感があり、『3回転ができた!』という喜びで、ますます練習に励んでいました。


試合後のジャッジスコアを見て、次の試合で回転不足を克服することを目標にするのが楽しかったです。」と当時を振り返ります。


小芝風花さんは、平池大人(ひらいけ たいじん)先生に教わり、野辺山合宿(全国有望新人発掘合宿)にも参加するほどの有望選手!!

野辺山合宿」(日本スケート連盟主催)は、毎年夏に長野県南牧村野辺山高原で行われる有望なフィギュアスケート選手を発掘するための合宿です。


1992年から始まり、本田武史荒川静香など、多くのトップ選手が参加しています。

 

 

小芝風花:左右両膝の手術を経験

小芝風花さんは、有望選手として練習する中でオスグッド・シュラッター病を患い、左右両膝の手術を経験しました。


手術後、筋力が大幅に落ち、復帰は難しいと思われていましたが、「今練習したい」という強い意志で手術を受け、リハビリを頑張りました。


回復には時間がかかり、周囲から無理だと思われる中、努力して競技に復帰しました。

オスグッド・シュラッター病は、主に成長期の10〜15歳の子どもが膝前部と下部に痛みや発赤、熱を感じる病気。


膝の過度な屈伸動作により膝蓋靭帯が脛骨粗面に負荷をかけ、発症します。


成長期の骨と筋肉のバランスが取れず、運動を続けると症状が悪化し、脛骨粗面が隆起することがあります。


成長期を過ぎると症状は治まります。

 

小芝風花:成績と大会実績

小芝風花さんのフィギュアスケートの成績は非常に優れたものでした。
以下は彼女の主な大会成績です:

小芝風花浅田真央羽生結弦と同レベル

小芝風花さんはフィギュアスケートバッジテスト7級を取得しており、これは浅田真央さんや羽生結弦さんと同等のレベルです。


バッジテスト7級を取得することで、すべての試合に出場できる資格を得ることができます。

フィギュアスケートのバッジテストは、日本スケート連盟が主催するスケート技術の公式試験です。


初級から8級まであり、級が上がるごとに難易度が増します。


7級では、複数のダブルジャンプや2種類のトリプル・ジャンプ、スピンコンビネーションなど高度な技術が求められます。


このテストに合格すると、特に6級や7級では大きな大会に出場する資格が得られます。

 

小芝風花:女優へ【スケートを辞めるつもりはなかった…】

小芝風花さんが女優を目指したきっかけは、浅田真央さんがCMでスケートをしている姿を見て、「こういうのに出てみたい」と思ったことです。


その後、2011年の『イオン×オスカープロモーション ガールズオーディション2011』でグランプリを受賞し、芸能界入りを果たしています。

 

小芝風花さんは、スケート選手としての目標や先生になりたい夢がありましたが、オーディションに応募。


最初はスケートを続けるつもりでした。


グランプリを受賞し、上京してからはスケートと芸能活動の両立が難しくなり、次第に芸能界でやっていきたいという気持ちが固まっていったそうです。

 

小芝風花さん)「オーディションが進むにつれて、『選ばれている』という実感が湧き、芸能界でやっていきたいという気持ちが固まっていきました。」


小芝風花さんはフィギュアスケート選手としても素晴らしい成績を収めており、その経験が現在の女優としての活躍にもつながっています。


彼女の今後のさらなる飛躍に期待しましょう。